物語と手をつないでく

読んだ本について書いています。海外小説が多いです。

破滅者 トーマス・ベルンハルト

新聞の批評でこの本の存在を知り、本当はナボコフの「記憶よ語れ」を読もうと思っていたのに、どうしても読みたくなって手に取った。ベルンハルト初めて読んだけど、

暗いのね。ペシミズムの極みというか(決っして面白くなかったわけではない、むしろ卑小なユーモアを感じて苦笑いした)

自分から冷たい泥のぬかるみに足をつっこんで、いつまでもピチャピチャやっているような粘着質な暗さ。本当は抜け出せるけど、苦しい苦しいと言いながらその状態が嫌いではないみたいな。本質を見抜くから出てくる言葉は苦いし、簡単に世界を、人生を肯定することなどできない。あまりにも物事の本質が分かりすぎてしまうが故の苦しみ。

スイスの新聞が読みたいがために350Kmの道のりを車で走り回り、結局新聞は手に入れられない下りは笑いを禁じえない。が、彼らにとっては生き死にの問題で、精神的な真実がないと息をしていけないのだ。

2本の小説が収められていて、一本目は「ヴィトゲンシュタインの甥」で二本目が「破滅者」どちらも天才と近い位置にいた者の人生を書いているけれど、ヴィトゲンシュタインの甥の方がすっきりしている。死ぬ間際、会いにいけない作者は切ない。登場人物に対する愛着もあるように読める(実際に親友だったのだろうか)破滅者は主人公を突き放して見ていて、ひたすら繰り言を繰り返しているような文。

どちらにも共通するのは、都会に対する執着、田舎への憎しみ。

女友達のイロナが都会をすてて田舎に移り住み、自分で畑をやりだした途端に友情を棄てた所は笑ってしまう。スローライフなんか糞食らえ!思想は田舎にはないんだい!

 

”とはいえ金銭のほうは間も無く窓から投げ尽くしてなくなってしまっていたが、思考のほうはじっさい無尽蔵だった。彼はそれを次から次へと投げ出すのだったが、するとそれが(同時に)次から次へと増殖した。彼が(彼の頭の)窓から投げ出す思考が多ければ多いほど、それがいっそう多く増大していった。これはじっさい、まず狂っていて、ついには精神錯乱のレッテルを貼られてしまうような人たちの特徴なのである。”